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【オクシズ縁劇祭情報②】新作朗読劇「小林作兵衛」―義元討ち死の知らせを駿府に伝えた男―
「オクシズ縁劇祭」では昨年に引き続き、
オクシズに伝わる民話を題材にした舞台を上演します。
昨年も上演した朗読劇「沼のばあさん」「狼峠」
昔ばなしシアター「木枯らしの森」「てしゃまんくと浅間さんの石鳥居」
今年はさらに1本の新作が上演される予定です。
「小林作兵衛」
25,000あるいは45,000人ともいわれる大軍を率いていたにもかかわらず、
織田信長の軍勢に敗れ、あえない最期をとげた今川義元。
その知らせをいち早く駿府に伝えたとされる人物がいます。
それが小林作兵衛です。
藁科川上流の清沢地区。
その中でも、とくに山深い場所に峰山という集落があります。
その峰山に、次のような伝承が残されています。
峰山の集落を開いた小林作兵衛は、今川義元の家臣だった。
永禄3年(1560)5月19日、織田信長との戦いで義元が討死すると、
作兵衛は東海道を馳せくだり、
駿府にいた嫡男今川氏真にその一報を知らせた。
その後、甲斐武田氏に命を狙われたため、
藁科川を登って峰山にひそみ、
今川氏再興の機会をうかがっていたが、ついに病死してしまった。
峰山には、今もその末裔の家があって、小林作兵衛の墓も残されています。
この伝承を裏付ける資料は見つかっておらず、あくまで言い伝えなのですが、
峰山という集落の開発伝承に桶狭間の戦いが結びついていて、
今も、そのお墓が大切に守られている。
徳川家康の伝承に隠れて、このような戦国大名今川氏にまつわる言い伝えが
オクシズに残されています。
今川義元生誕500年にふさわしい作品。
縁劇祭では、この小林作兵衛の物語と、
地元で伝承している清沢神楽「鬼の舞」が共演する予定です。
お楽しみに!