大川
藁科川の涼やかな流れと、緑ゆたかなお茶畑と歴史をたっぷり堪能。
藁科川最上流に位置しています。縁側でお茶を振舞うなどあたたかみ溢れた人情が、訪れる方々を癒してくれます。また、聖一国師の生家があり、静岡のお茶の歴史に触れることができます。
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釣り師さんとの話から
大川地区から市街地に向かう県道の一部区間で、この12月、道路わき斜面の補強工事が行われました。とはいえ住民の唯一の生活道路なので、完全通行止めの措置はとれません。何日も前から、看板で通行止め時間帯が告知されていました。
気をつけてはいたのですが、ある日ぽかっと忘れてしまっていて、つい引っかかりました。山あいののどかな道端にバイクをとめて、思いがけず30分の足どめです。
そのうち、交通整理員の男性と世間話になりました。よく日焼けしたその男性は、熱心な渓流釣り師さんでした。清沢や大川地区を若いころからひんぱんに訪れており、「支流までよく知っているよ」「井川まで通じていないころの○○集落は・・・」などと、能弁に語ってくださいました。
たしかにアユの解禁期間、藁科川上流は一日中、太公望でにぎわいます。私はずっと気になっていたことを、尋ねてみることにしました。
「釣り師さんにとって、実感として藁科川ってどういう川なんでしょうかね?」
すると男性は、ほんの3秒ほど考えて、こう答えてくれました。「藁科川はね、大雨の後で水のにごりが取れるのが一番早い川なんだよ」「それから苔のつき方がよくて、だからアユの味がいい川なんです」
へええ、と唸ってしまいました。地元の方には、ここ数十年で川がずいぶん濁るようになった、以前はちょっとの雨じゃ濁らなかった...などとお聞きしたこともあったのですが。あちらこちらの川を知っている釣り師さんにそう評価されているのかと知ると、とてもうれしくなりました。魚の味が良いというのも知りませんでしたが、ならではの意見が聞けてよかったです。
もっと詳しくお聞きしたかったのですが、残念ながらそこでタイムアウト。互いに仕事に戻らねばならず、「また川でお会いしましょう!」とお別れしました。
藁科川流域に住み始めてからの年月がながくなってきたので、なかなか客観的には魅力を認識できませんが、釣り師さんやサイクリストさんなど、大川地区に何度も通ってくださる方々と、もっともっとお話ししてみたいなあと思えたことでした。
取材で考えたこと
先日、ある新聞社さんの取材をお受けしました。若い記者さんがこうおっしゃいました。
「なぜ、あえて、不便を強いられる生活を選択したのか?という点を、しっかりお聞きしなさいとデスクに言われました」
ズバッと直球の切り口だったもので、主人も私も、ウーンと唸りました。そして記者さんが帰られてからも、話し合ってみました。
端的に言えば、不便を強いられているとは感じないから・・・ですが。
あるいは、いわゆる「便利さ」の優先順位が、私たち家族にとっては低いのか。自分たちにとっては許容範囲内だからともいえるでしょう。
そして、もし不便が多少あるとしても、それを補ってあまりあるもの、つまり「豊かさ」がここ大川地区にあるから、という答えになると思います。
こちらに来て感じるのは、地元の皆さんの暮らしぶりが実に豊かだということです。いわゆるマチからは距離がありますが、
「無ければ無いように間に合わせる」
または、「無いものを有るようにする」知恵に満ちています。
例えばコンビニもマーケットもありませんが、あちらこちらの畑では野菜が上手に育っています。自分たちのところにない野菜はご近所さんが分けてくれます。保存食やおかずの交換はしょっちゅうです。おいしかったから作り方を、と会話も弾みます。お店ランチはできないけど、玄人はだしの料理上手なママ友がいます。持ち寄りのおつまみで飲み会(寄り合い?)をします。
水道や煙突など、ちょっとした家の修繕は、ちゃちゃっと自分たちで片付けるようです。お隣さんは川の対岸から澤水を引き込み、定期的に山の手入れをしています。裏の小屋も手作りです。草取りの道具ひとつとっても、自分なりの工夫をしていて感心させられます。少し前までは紙漉きや機織りをしたお宅も多いでしょう。
先日は大工さんが鍛冶仕事もできて、自分で麺切り包丁を作ったと聞いて驚きました。それで「いやあ、俺のはいたずらだから」なんて謙遜されるのです。
作物の種も、みんなで分けて育てれば、災害でダメになっちゃっても大丈夫、誰かがつなげてくれるからね。などという話をサラッと聞かせてくださいます。
典型的な核家族で育った私たち夫婦にとって、こういった大川での毎日はまさに「異文化」です。発想と価値観の嬉しい転換です。
こちらに来てから、地元の方々の、色々な意味での「自給率の高さ」に驚かされています。それは食べ物の話だけではなく、生活全般を、自分たちの手で、知恵でまかなえる生活様式が、自然なかたちであるんですね。
そんな皆さんの仲間入りをしたくて始めたのが、鶏を飼うこと。自分たちの「生活自給率(あるいは生活総合力)」を、少しずつあげていければいいな~と考えています。いや、自給率なんて言葉は硬いですね。「地産旬食」「自給自足」そんな言葉をもし口にしたら、お隣さん達は軽々と「さもないことだよぉ」と笑いとばすかもしれません。肩の力が抜けたかんじが、またすてきです。
と、そんなことを考えました。取材の時にうまくしゃべれたらよかったんですがね、なかなか難しいです(汗)
写真は先日、大川生涯交流センターで行われた「蕎麦打ち教室」に参加したときのものです。講師は畑色地区のお茶師さんでした。家族で参加させていただきました。今年は我が家も、年越し手打ちそばに挑戦します(*^_^*)
大川地区に興味をもたれた方は、こちらもご覧ください。
・静岡市立大川中学校ホームページ・・・元気な子どもたちの様子をご覧いただけます。
静岡市音楽交流会に参加したこと
少し前の話になりますが、11月26日(金)、
遠いところ、その数分間のために足を運んだ大川の保護者たちも大勢いました。私は仕事場が近くですが、みなさんやさしいですね。2階席の一角から、静かに客席に手を振りました。
一番手は、大規模中学校の一年生194人の大合唱でした。そろいの制服で、ステージにぎっしりの中学生。だから、その後で壇上に上がった大川の18人は、いっそう少なさが際立っていました。
曲目
・「ハトと少年」...5.6年生4人によるリコーダー合奏
・「君をのせて」全校トーンチャイム合奏
・ 「君をのせて」全校合唱
娘は「今日はリハーサルなしの本番なんだよ」と緊張の面持ちで登校しました。隣に座ったお母さん友達も、「(登校する)車の中でリコーダー練習してた。ピーピーうるさいけど今日は言えないもんね」と笑っていました。
ステージの真ん中に立った18人は、堂々としていました。トーンチャイムのやさしい音色に、会場はしんと聞き入っていました。
以前、仕事場近くの学校の横を通りかかったときに、体育館から合唱の歌声がきこえてきて、こんなふうに考えたことがあります。大人数が、いくつかのパートに分かれての大合唱...「うちの娘たちは、これは(人数的に)できないんだよなあ」と、少々残念に感じたのが本音です。
でも大川の18人は、それぞれの持ち味が生きて一つになっていると、今回の合唱で実感しました。
2列に並んで、身長もデコボコですがね。
大規模校の合唱が上品なコーンポタージュだとしたら、
大川小の合唱はお正月のお煮しめみたいなものかしら?
どちらもお味もいいじゃないですか!
会場中の拍手の中で一礼する子供たちを見ながら、私は心から、大川小学校に仲間入りできたことを誇りに感じました。ありがとう。
演奏が終わると、そっと目元をぬぐいながら、一部のおかあさんは「さあ仕事仕事」と席を立っていきました。
大川小学校のホームページでも、当日の様子が紹介されています。
大川っ子アルバムのページもごらんください。
なめこの収穫・堆肥づくり
ある日の夕方近く。借りているハタケに行き、カブの間引きをしました(鶏がカブ葉をよく食べます)。さて帰ろうとしたら、ハタケを貸していただいているSさんが、近くで椎茸の収穫をしていました。
「お手伝いはありませんか~」と声をかけると、なめこの収穫をさせていただけることに。
大川の椎茸も絶品ですが、なめこもスーパーで購入するものとは、あきらかに別の食べ物である!と感じます。とろみ自体も違いますが、「なめこの味噌汁」や「きのこ鍋」にするとき、だしはまったく要りません。実に滋味深いです。はじめてお分けいただいたときには、「これはウチだけで食べちゃもったいない」と、また知人におすそ分けしたくらいです (^-^ゞ
椎茸はコナラをホダ木としますが、なめこはサクラに菌を植えつけるそうです。「サクラかバラだね、バラっていっても太いのがあるだよ」などと、お話を伺いながらの収穫作業でした。椎茸とはまた違って、かきとる作業にひと手間かかります。その後、Sさんと一緒に藁科川に降りました。ざるに入れたなめこを、冷たい川の水にさらすと、「おもしろいように汚れがとれるだよ」と教えていただきました。「きれいになりますね~」「あら逃げちゃった」などと笑いながらしましたが、毎日では大変な作業でしょう。山の日暮れははやく、手がかじかみます。
翌日は、朝から軽トラックにご一緒させていただいて、落ち葉あつめをしました。
茶葉を収穫する布の大袋を積んで、林道をぐんぐん登っていきます。道路脇にたまった落ち葉を、熊手でかき集めては、足でぐっと広げておいた袋の中に、どんどん掻き入れていいきます。落ち葉と言うと軽いようですが、水気を含んだものは実に重たい。サンタさんより大きく膨らんだ袋を、軽トラックに乗せるのも、2人がかりで「そおれっ!」と大変な作業でした。山で生きてきたお年寄りが、足腰が丈夫になるわけだ!と息をはずませて思いました(←体力勝負の生業より、もっと大変だ!)。
大汗かいて、道路脇に座り込んで食べるみかんは最高でした(^-^)
お手伝いのつもりだったのに、結局Sさんは、落ち葉を3分の1も我が家にゆずってくださいました。ハタケの一角に一緒に運んで、鶏糞とぬかをまぜ、堆肥づくりのいろはを教えていただきました。
落ち葉集めは、たしかに大変でした。でも、たっぷりの落ち葉や大きな茶袋を、生まれて初めて扱いながら、私は「こんなにたっぷりしたものを相手に生きているから、この方達は、人物そのものにたっぷりした印象があるのかもしれないな」と考えさせられたことでした。
12月5日 地域防災訓練
この日曜日は「地域防災の日」。大川地区のそれぞれの集落で行われました。私たちは日向集落で参加しました。
朝ごはんを済ませて、家族分のヘルメットと防災頭巾を確認します。娘達は「もうすぐ地震がくるよ!」「あと5分、何だかコワイ!」と、やや興奮気味←ちょっと違うような気がするぞ!
"ウーッ"と9時にサイレンの音がなりました。まずは火の元を確認して、机の下へ。その後、屋内の安全を確認して、担当の組長さんが各家を点検に回って来るのを待ちます。各地区の避難場所へ移動。そして組で集まってから、今度は中学校のグラウンドへ移動し、炊き出しの訓練を見守り、乾パンとお湯で作る五目御飯を賞味する・・・という展開でした。
中学校のグラウンドには、地域のみなさん70~80人が集まりました。ママ友と話していると、ご近所さんがニコニコと近寄ってきて、
「よう、ご主人さんかっこいいねえ~」
そう、我が家のおとうさん、この日はピカピカの消防団の制服を着て、皆さんに初お目見え(*´艸`) 10月から消防団員となったのであります。
正直なところ、消防団員になると大変なんじゃないか?という先入観があったのは事実です・・・。我が家のように祖父母のいない家では、おとうさんがいない夜が多くなるんじゃないかという不安がありました。私が仕事で遅くなる日もあるため、子どもの留守番が増えてしまうかもしれない。地元の活動にはなるべく参加して・・・とは思っているものの、消防団は躊躇していました。
でも、団長さんに何度もさそっていただき、また、家の都合など優先してくれてかまわないからとありがたいお言葉もあったので、おとうさんも思い切って仲間入りさせていただくことに。さて、実際のところは?まだはじまったばかりだから、どの程度実際に関わっていかねばならないのか、よくわかりません(ごめんなさい)。でもおとうさんいわく、やはり町内会・学校PTA・消防団と、それぞれにお会いできる方は異なるし、また人間関係が広がってきたとのことです。
何人もの地域の方々に「入ってくれてありがとう。安心だよう」「ごくろうさまね」と声をかけていただけたのが、なによりうれしかったです。